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大阪・野田に残る「松下幸之助 創業の地」とは?4種類全て解説【福島区】

「野田」という名前は一見しょうゆ産業で有名な千葉県野田市を思い浮かべてしまうかもしれないが、今回取り上げるのは大阪にある野田の話だ。

野田阪神

今回やってきたのは大阪市福島区の「野田阪神」だ。大阪の野田には大きく分けてJR環状線の野田駅と阪神電車の野田駅があるが、一般に野田という名称で栄えているのはどちらかというとこちらのエリアとなっており、多くのショップや飲み屋が並ぶ他、JR東西線・阪神電車・地下鉄千日前線との乗り換えも頻繁に行われている。

松下幸之助創業の地

そんな大阪・野田はかの松下電器創業者、松下幸之助が「松下電機器具製作所」を創業した地として知られており、現在でも野田阪神駅の周辺に4か所の場所が「松下幸之助創業の地」という名称で登録されている。今回は、大阪市福島区に残るこの「松下幸之助創業の地」について、4か所それぞれの解説を加えることとする。

松下幸之助創業の地「大開」

野田阪神本通商店街

松下幸之助が「松下電気器具製作所」を創業したのは、大阪府大阪市大開と呼ばれる一角にある。野田駅の西側に広がるこのエリアには商店街を中心に昔ながらの下町が色濃く残っており、松下幸之助が住んでいた時代の面影こそ残っていないものの、その状況がどうなっているのかを何となくではあるが感じることのできる場所となっている。実際、大開エリアへと向かうメインロードには「野田阪神本通商店街」という名前がついている。こちらの商店街も「松下幸之助 創業の地」を前面に押し出しており、なかなか良好な関係を築いているようだ。

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ちなみに「大開」という地名そのものは神戸市にも位置しており、こちらは駅の名前にもなっているものの、こちらとは別の場所になるので注意していただきたい。

大阪・野田に残る4種類の「松下幸之助創業の地」

松下幸之助創業の地 地図

大阪・野田には4種類の「松下幸之助 創業の地」があり、それぞれ「創業の家」「第一次本店・工場」「第二次本店・工場」「第二工場」という名称がつけられている。

なお、上の写真だと分かりにくいかもしれないので、下により詳細な地図を挙げておく。よければぜひ参考にしていただきたい。

松下幸之助創業の地 地図

松下幸之助創業の地①「創業の家」

松下幸之助創業の地 創業の家跡

松下幸之助創業の地①「創業の家 跡」は、1918(大正7)年~1922年(大正11)年の間、松下幸之助が「松下電気器具製作所」を創立し、運営を行っていた場所だ。実際にビジネスとしての活動を始めたのは東成区になるのだが、企業を作った上で活動を行った最初の場所がここだったということで、ここに「創業の家 跡」という名称がついている(すなわち、東成区時代は法人としての形態を持っていなかった)。

なお、現在は上の図のように元々あった家は取り壊され、現在は無関係な個人宅が新たに建てられている。うかつな写真撮影はトラブルの元となるので気をつけよう(当サイトでは掲載許可を頂けなかったため、Googleマップ上のストリートビューで代用しています)。

松下幸之助創業の地②「第一次本店・工場」

松下幸之助創業の地 第一工場跡

松下幸之助創業の地②「第一次本店・工場跡」は、松下幸之助が1922(大正11)年から1935(昭和11)年の間、本店と工場を置いていた場所だ(本店は1929年に③に移転)。事業が拡大し、先ほどの①「創業の家」で事業を行うのが難しくなったため、この地に本店と工場を新設・移転したのだそうだ。その結果、松下幸之助はより多くのプロダクトを制作・販売することに成功、当初の従業員が5名ほどだったのが従業員50名を超える規模の会社にまで成長したのだそうだ。なお、松下幸之助はこの地に思い入れが強く、死ぬまで本籍地をこの地から移さなかったとのこと。感慨深い話だ。


現在、こちらの場所は商店街の一部やアパートとなっており、昔のような「大規模な工場が1軒どーんと建っている」という光景は見られない。

松下幸之助創業の地③「第二次本店・工場」

松下幸之助創業の地 第二次本店・工場跡

松下幸之助創業の地③「第二次本店・工場跡」は、松下幸之助が1929(昭和4)年から1953(昭和28)年の間、本店と工場を置いていた場所だ。先ほどと同様に、松下電器としての事業が以前よりも大きくなり、手狭になってしまったため、この地に以前の場所の約4.5倍となる巨大な工場をこしらえた、という次第だ。以前と異なる点は、以前の工場ではランプを中心にごく一部の製品のみをつくっていたのに対し、この工場ではアイロンやラジオ等、数多くの電気製品を作っていたという点が挙げられる。第二次世界大戦以前という今とは比べられないほど劣悪な環境下にあるにも関わらず、大量生産を行い、数々のヒット商品を生み出すあたり、この松下という企業のすごさを感じさせられる。

現在、この場所は公園となっており、地域の子どもたちの憩いの場となっている。ちなみに先ほどの地図が掲載されているのもこの公園だ。また、この公園の隣には幼稚園が設置されており、こちらも同じく地元の子どもたちでにぎわっている。松下幸之助が作り上げた工場は、子どもたちの集合場所になっている。

松下幸之助創業の地④「第二工場」

松下幸之助創業の地 第二工場跡

松下幸之助創業の地④「第二工場跡」は、松下幸之助が1925(大正14)年から1934(昭和9)年の間、工場を置いていた場所だ。こちらの工場では自転車と手提げ兼用の角型ランプが考案・製造されており、「ナショナル」という商標の始まった場所でもある。第一工場に比べても小規模な工場ではあったものの、今のパナソニックの基礎となる非常に重要な場所だったのだ。

現在、この場所には別の工場が建設され、今もそちらが現役で稼働を続けている。今も松下幸之助の時代と同じ形態の建物が稼働を続けているのはここだけではないのだろうか。中を見ることはできなかったが、人の出入りも多くあったし、かなり規模の多い工場なのだろう。勤務お疲れ様です。

まとめ 東成区には「松下幸之助起業の地」もあります

松下幸之助創業の地 道

いかがだっただろうか。今回は、大阪・野田にある「松下幸之助発祥の地」に関する4種類の場所に関して解説を行った。松下幸之助や松下電器(パナソニック)に関する施設は大阪市や守口市、門真市といった場所に多く残っており、それらを合わせるとその数は膨大なものになる。松下幸之助という日本を代表する人間を知るために、ぜひ一度これらの場所を回ってみてはいかがだろうか。

松下幸之助起業の地

画像は大阪市公式サイトから掲載

ちなみに大阪市東成区には「松下幸之助 企業の地」という看板が設置されている。松下幸之助氏がこの東成区で松下電器産業を創業したことから、この石碑と看板が設置されているのだそうだ。福島区とはそこそこ離れた場所になるが、良ければこちらもぜひ訪れてみるのもいかがだろうか。ただこの2つのエリアを両方回るとなるとなかなか時間がかかるので、双方の場所に行きやすい梅田あたりでホテルを取るのも良いかもしれない。

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