もともと兵庫県は摂津・丹波・但馬・播磨・淡路の5つの旧国から構成された日本でも稀な歴史を持つ県であり、その国の数だけ異なる文化がバラバラになって広がっており、「兵庫五国連邦」やら「ヒョーゴスラビア」やら、様々な表現で揶揄されている。しかしそうであるにも関わらず、近年は「大阪への近さ」ばかりが重視されている傾向があり、尼崎や西宮といった阪神間にある都市ばかりがクローズアップされ、それ以外だとせいぜい姫路が出てくる程度で、淡路島や但馬地区は「なにそれ?おいしいの?」とでも言わんばかりに無視されているのが現状だ。もっとも、これに関しては取材班も「大阪に近い」エリアに住む人間なのであまりああだこうだ言えないのだが。
さて、今回取材班がやってきたのは、そんなクローズアップされない但馬地方に位置する街、兵庫県豊岡市である。但馬地方の中心都市であり、兵庫県北部の中心都市でもあるこの豊岡だが、最近は慢性的な人口減少に悩まされており、いちおう支店経済都市としてのメンツは保っているものの、但馬地方全体の人口減少もあいまってその地位もなかなか怪しくなってしまっているようだ。それにしても車内のうるさいことうるさいこと。女子大生と思われるグループがキャッキャしてるんですが、みんな城崎温泉にでも行くんですかね。取材班としては、頭チャランポランで騒ぐより志賀直哉の「城の崎にて」でも熟読するほうがよっぽどためになると思うんですがねえ・・・。
遺産だらけのシャッター街「サンストーク アベニュー」
豊岡駅を出ると、すぐに駅直結のショッピングモール「アイティ」が見えてくる。こちらは駅前再開発でできた建物にあたるのだが、いちおう地元スーパー「さとう豊岡店」が入っているとはいえ、大資本が入っていないこともあってか、結果多分に漏れず・・・といった状況らしい。こちらに関しては別の記事で取り上げる予定なので、もう少しお待ち願いたい。また、それ以外にもパチンコ屋や「大丸」という名前のビジネスホテルもあるようだ。ホテル大丸の看板、某百貨店と全く同じなんですが大丈夫ですかね・・・。
そんな駅前を抜けると、すぐにいかにも商店街のような光景が現れてくる。こちらこそが、今回取り上げる商店街「サンストーク アベニュー」である。本当は「豊岡駅通商店街」が正式名称なのだが、こちらの愛称のほうが定着しているようなので、当サイトではこちらの表記を使用する。なお、「サンストークアベニュー」ではない。「サンストーク アベニュー」である。「サンストーク」と「アベニュー」の間には隙間を開けるのが正解らしい。面倒ですねえ(笑)
JR豊岡駅前から東へ約800mにもわたって続くこちらの商店街は但馬地域でも最大の商店街となっており、その長さは兵庫県最大の繁華街・三宮センター街よりも長いというから驚きだ(三宮センター街の長さは約650m)。のっけからアコムの看板が見えているあたり、何だか嫌な予感がしてしまうのだが・・・
そしてその予感は残念ながら的中してしまった。駅から近い範囲に関してはまだこらえているものの、
駅から少しでも離れるとすぐにこのありさまだ。どうやら地方はどこも変わらないようだ。
やっている店もどこも死屍累々といった様子で、どこもいったい全体なんだかなんとも言えない雰囲気が漂っていた。ちなみにこのカメラ屋の主人さんいわく、「前々からこうなってはいたものの、コロナで余計にひどくなった」とのこと。どうやら今に始まった問題ではないらしい。
800mというその長さが示す通り、もともとは相当にぎわいのある商店街だったのだろう。豊岡駅通商店街公式サイトを見てみればわかる通り、当時は多くの人が商店街内を行きかい、相当な数のお店が入居していたようだ。ま、「昔はにぎわっていた」商店街は腐るほどあるのでアレなんですが。
公式の「お店ガイド」を見てもこの惨状だ。聞いてた話と全然違うんですが。閉店したお店の前にこれを作ってしまうのも変な話だが、それでもこれじゃあねえ・・・。この地図そのものもそれほど古いものではないだけに、このエリアがどれほど厳しい環境に置かれているかはもう言うまでもないだろう。
そんな豊岡駅通商店街、通称サンストーク アベニューの特徴だが、それはなんといっても大正末期~昭和初期の建物が多く残っていることに尽きるだろう。大正14年(1925年)に起きた北但大震災の復興の際に建てられた建物が今も現存しているのだ。
一例としては、こんな感じだ。今現在建てられている建物とは1つも2つも、いやもっと多くの「今とは異なる」点が発見できると思う。これらの建物は「豊岡復興建築群」と呼ばれており、豊岡市を代表する歴史遺産のひとつとなっている。もっとも、今はただの廃墟になってしまっているんですが。
こちらの一見古びた建物だが、こちらは通称「防火建築」と呼ばれる建物となっており、こちらはその名の通り火が広がらないようにするための役割を持っていた建物だ。このような建物は全国各地に見られるが、昭和初期からこのようなものがあったというのは相当珍しいのではないか。ちなみにこちらの建物は今も現役。末永く頑張っていただきたいと願うばかりだ。
復興建築は商店ばかりに留まらない。こちらはもともと「兵庫縣農工銀行豊岡支店」として営業していた建物なのだが、現在はリノベーションしオーベルジュ豊岡1925というホテルとして営業している。1泊2万円オーバーとなかなかのお値段だが、登録有形文化財に泊まるという経験もなかなかできないことなのでぜひ一度宿泊してみると良いだろう。城崎温泉も電車で2駅と近いしね。
そんなご立派なホテルの向かい側にはこれまたご立派な建物が。こちらはなんと豊岡市役所だそうだ。現在のものは平成25年(2013年)に建て替えられた新しいものとなっているが、その姿は昔の豊岡市役所と変わりない美しい姿を保っている。この美しい市役所とシャッターだらけの商店街・・・いったい誰が悪いのか、思わず考えさせられてしまった。
側道に残る新旧の市場の趣を見よ!
壊滅的な状況を見せているこの豊岡市「サンストーク アベニュー」だが、その側道には「ふれあい公設市場」と「あおぞら市場」なる市場が営業している。
まずは「ふれあい公設市場」だ。豊岡市役所のすぐ近くにあるこの市場は日本で最も古い木造市場として有名で、北但大震災の復興時からずっとここで営業を続けているらしい。ということは、もうそろそろ90年というところか。驚きしかない。
そんなふれあい公設市場の中だが、まるでどこかの観光地かと勘違いしてしまうほどのオシャレな光景が広がっている。公営の建物というのは、得てして汚らしい醜悪な姿を晒すことが多いのだが、ここに関してはそんなものどこ吹く風というような美しい光景が広がっていた。2003年に市から助成を受けて改装した結果らしい。とはいえ、もともと市民の台所として発展した場所、公営の場所ということもあり、こういう場所にありがちないかにも観光客向けのお店は一軒も存在しない。そしてそういうこともあってか、観光客はここには来ない。良いのか悪いのか・・・
そしてそのふれあい公設市場、今ではサンストーク アベニューの1テナントになってしまっているというね・・・ まあ地方では良く見る光景ですが。
そんなふれあい公設市場を抜けると、今度は「あおぞら市場」なる、、いかにもヤバそうな市場が出てくる。こちらは正式名称を「新川野外市場」と呼び、その名の通り新川水路上に設けられた市場となっている。それにしても、ひまわりを見ると必ず「スーパー玉出」を思い出すようになってしまったのですが、こんなこと考えるのも取材班くらいですよね。
こちらの市場には木で作られた「古き良き」市場の状態がそのまま残っており、昔ながらの趣を感じさせる。ちなみにできた当初は屋根が存在せず、それが由来となって(青空教室と同じ意味で)「青空市場」と呼ばれるようになったらしい。古めかしく見えるこれらの木だが、これでも2003年に改装されたものだというから、以前の環境の劣悪さはもう語るまでもないだろう。
なお、この市場の営業時間は朝4時から午前11時まで(Wikipediaには7:00~11:00とあったが、市場にはこう書いてあったのでおそらく4:00~11:00が正しい)。すなわち、午後は一切営業していないのだ。取材班は正午ごろにここを訪れたが、それも後の祭り。すっかりお店は撤退し、まるで廃墟かと間違えてしまうような光景が広がっていた。廃墟じゃないからね!!現役の市場だからね!!
そんな市場の中でくたびれるように展示されていた「とよおかの観光ご案内」。城崎温泉が「きのさき」と表記されているあたり、相当古いものだと思われる(城崎駅が城崎温泉駅に改称されたのは2005年)のだが、これもいつまで耐えられるか。豊岡市の実力が試されている。