前回の記事で、「北九州の副都心・黒崎がヤバい」ということを特集し、様々な反響をいただいた。今回は、前回の記事で取り上げたことについて、少し掘り下げたところから書いていこうと思う。
<前回の記事>
今回特集するのは、「黒崎コムシティ」なる商業施設だ。
この「黒崎コムシティ」なのだが、とにかく酷かった。「行政主導による、典型的な失敗例」とでもいうのだろうか。このような事例は全国各地で見られるのだが、ここの事例はその代表的で、かつ最も失敗してしまった例だといえる。今回は、そんな「コムシティ」について、様々な視点から書いていこうと思う。
コムシティとは
「コムシティ」は、北九州の副都心・黒崎にある、2001年にできた商業施設だ。もともと「純粋な商業施設」としてできたが、運営がうまくいかず、経営母体が破産。現在は北九州市の所有となっている。建物は「高層棟」「低層棟」「駐車場」の3つのゾーンに分かれ、高層棟にはホテル「西鉄イン黒崎」を中心に、公共施設や一部のショップが入居。低層棟には公共施設やレストランなどが入っている。また、この施設の1Fには「筑豊電鉄 黒崎駅前駅」という、鉄道駅が入っている。様々な施設が1つの建物に入っているという、とても便利な建物…になるはずだった。
コムシティの現状
しかし、この「コムシティ」の現状は決して良いものではない。その一番の問題点は、商業施設にも関わらずお店が無い、公共施設があまりに多すぎるという点にある。下のフロアガイドを見てほしい。
この写真では見づらいので、下に詳しいフロアガイドを載せておく。
9F~12F西鉄イン黒崎
7F 子どもの館
6F 保健所・親子ふれあいルーム・西部整備事務所・八幡区役所・ハローワーク
5F 障害者福祉会館・区役所
4F 市税事務所・区役所・行政サービスコーナー・サイゼリヤ
3F 市民ギャラリー・市民活動サポートセンター・生涯学習総合センター・北九州国際交流協会・放送大学サテライトスペース・マツモトキヨシ・福岡銀行ATM・ほけんの110番・タリーズコーヒー・てんや・グラディエ・リンガーハット・ゆうちょ銀行ATM
2F ゴールド免許センター・九州国際大学サテライトキャンパス・若者ワークプラザ・Seria・個別学習塾スタンダード・Kreamer
1F 子どもの館 一時預かり室・黒崎歴史ふれあい館・障害者自立支援ショップ・整骨院・セブンイレブン・居酒屋「わん」・auショップ
B1F 八幡西区役所・夜間休日急患センター・少年支援室・ユースステーション
太字が公共施設、赤字が商業施設だ。これを見て頂ければ、もうお分かりだろう。もう一度言う。
商業施設にも関わらず、公共施設が多すぎるのだ。2001年建立、しかも2014年に,、この施設を買い取った北九州市自身によってリニューアルされた、ピカピカの建物に大量の公共施設。利用者にとってはうれしいことではあるが、どう考えても不釣り合いだ。「税金泥棒」なんて言われてもおかしくない。昨今、老朽化した役所の建て替えに、一部の住民が「俺らの税金を勝手に使うな!!泥棒!!」などと文句をつけることが多発しているが、そんなことしりませーんとでも言うかのように、この建物は存在している。
なぜこんなことになってしまったのだろうか。それには、2つの大きな理由があるのだが、これに関しては、この次の項目、「なぜコムシティは失敗したのか」というところで書いていこうと思う。
なぜコムシティは失敗したのか
では、なぜコムシティは「商業施設」になれなかったのだろうか。それには、2つの大きな要因がある。立地に関する問題、そして時期に関する問題だ。
コムシティの立地問題
コムシティがあるのは、黒崎駅を出てすぐ右側、黒崎駅の目の前だ。これだけを聞くと、非常に立地の良い場所にある、と思うかもしれない。しかし、現実はそう甘くないのだ。まず黒崎駅を出てすぐ左側、コムシティの反対側には、百貨店「井筒屋黒崎店」を中心とする大型ショッピングモール、「黒崎メイト」がある。
実を言うと、ここに入居していた「井筒屋黒崎店」は8月をもって閉店し、またこの建物を運営していた会社も破産してしまったのだが、それを考慮しても、コムシティを作る前にこの建物は存在していた(黒崎井筒屋の前身である黒崎そごうは1990年開業、コムシティは2001年開業)のであり、そもそもこんな大きなハコモノが2つも存在できるのか、ということを考えていなかったのだろうか。非常に不思議な話である。
しかし、ライバルはこのハコモノ1つに留まらない。黒崎駅前には、おびただしい数の商店街が広がっている。
さらにさらに、黒崎駅から徒歩で10分ほどいったところには、あのまちつぶしクラッシャーことイオン系列のお店「イオンタウン黒崎」まであるというから驚きだ。
この3つがあると、どうなってしまうのか。お金のあるチェーン店や大企業が運営するショップは、集客力のある百貨店を持つ「黒崎メイト」や「イオンタウン黒崎」に流れ、逆にお金のない個人店は賃料の安い商店街へと流れる。結果、中途半端にデカく、お店がないため集客力の上がらないコムシティには誰も来なくなる・・・。そんな状態に陥ってしまった。
もちろん、コムシティも対策をしていなかったわけではない。資金力のある企業が来てくれないと分かると、賃料を下げてお店を入れようとした。しかし、そうすると収入が下がってしまい、結果的に運営費をまかなえない。どうすれば良いのか・・・。そんなジレンマに挟まれた結果、商業施設として運営できるだけの余力を失ってしまった。それが、コムシティの現状だ。
コムシティの開業は遅すぎた
コムシティが開業したのは2001年のことだ。なんだ、20年も前か、結構昔だな、と思うかもしれないが、決してそんなことはない。むしろ、遅すぎる。
黒崎地区が最盛期を迎えていたのはいつなのだろうか。それは、1983年ごろだと言われている。くわしくは下の記事を見てもらいたいのだが、この頃の黒崎は本当に大きな街だった。
(上記サイトより転載)
このころの黒崎駅周辺には、井筒屋・長崎屋・そごうという3つの百貨店に加え、ジャスコやトポス(現ダイエー)といった大型スーパーも立ち並んでいた。駅前大通りにはこれでもかというほど大型建造物が立ち並んでおり、高度経済成長期らしい、賑やかな光景が広がっていた。
それが、18年後、2001年にはどう変わっただろうか。
大手百貨店、そごうは2000年の経営破綻とともに閉店。ジャスコは黒崎フォーラスに業態転換したものの、こちらも1999年に力尽きてしまった。井筒屋は旧そごう跡地にお店を移転し、旧店舗はアネックスに。長崎屋も、店舗の看板自体は残っているが、こちらも2000年に閉店している。
18年のうちに、街を支えてきた大型店舗が次々と潰れていってしまったのだ。そんな中できた、コムシティ。といっても、さすがに遅すぎた。大型店が次々に無くなり、魅力を失った黒崎。そこに、お客さんが戻ってくることはもう無かったのだ。
あと10年、いや、せめてあと5年。そごう・長崎屋・黒崎フォーラスがある頃にコムシティが完成していたのなら。そう悔やまれても仕方ないだろう。2001年という開業時期は、あまりにも時期が悪すぎたのだ。
まとめ 時期とずさんな計画に翻弄された、悲運の建物。
今回は、黒崎に残された悲運の建物、「コムシティ」について考察を加えた。
コムシティの失敗の原因は、そのずさんな立地選定にもあった。しかし、それだけでなく、2001年に開業したという、時間的な問題も失敗の裏には隠されていたのだ。
時期が悪かった結果、残念な結果を招いてしまった建物は他にもある。バブル崩壊後に開業した、旧小倉そごう(現・小倉駅前アイム)や、逆に開業が早すぎた結果お店が出て行ってしまった「あべのベルタ」など、その事例は驚くほどたくさんある。
しかし、時期が悪いだけでここまで悪い結果を呼ぶのなら、小倉駅前アイムやあべのベルタだってもっとスカスカになっているはずだ。
しかし、コムシティはそのレベルじゃない。公共施設を集めに集めて、ようやく建物の体をつくっている、それがコムシティの現状だ。そして、この状況はこれからも変わることはないだろう。
2001年から19年経った今、黒崎はどう変わっただろうか。
井筒屋は閉店。黒崎メイトは破産。商店街は衰退する一方。人は北九州を離れ、福岡市ばかりが成長していく。正直、北九州市の未来は明るいとは言えない。
ぼくたちは、コムシティを見放すしかないのだろうか。
北九州市の腕前が、今試されている。