兵庫県宝塚市は宝塚歌劇団や宝塚音楽学校に代表されるように、阪急電鉄の創業者・小林一三が特に力を入れて開発したエリアとして知られており、「阪急の街」と巷では言われている。実際は阪急宝塚駅よりJR宝塚駅の方が乗降客数が多いそうですが。
さて、今回取材班がやってきたのはそんな宝塚市の中心である宝塚駅から阪急今津線に乗ること2駅、逆瀬川駅である(なお、取材班は西宮側から来訪している)。阪急今津駅と宝塚駅とを結ぶこの阪急今津線は、周辺に多くの学校が立地していることもあってか、ラッシュ時には関西の鉄道路線の中でも比較的混雑を見せる路線として知られており、また沿線が成熟しているという要因からか昼間でもそこそこの混雑を見せる路線となっている。とはいえ、梅田からは今津線へ直接行けないこともあり(今津線沿線からは梅田へ1本で行ける。ただしラッシュ時限定)、本線格となっている阪急宝塚線や神戸線と比べると扱いは控えめといった印象だ。
この逆瀬川駅周辺だが、バブル真っ只中の1987年に再開発事業が竣工し、駅前にタワーマンションや商業施設等が開業、現在では阪急らしい落ち着いた雰囲気の広がる街が形成されている。しかし、そんな逆瀬川駅の駅前にある商業施設が、実に残念な姿を見せているという情報を取材班は聞き、実際に回ってみたのだが・・・ 結論として、まあとんでもない代物でしたよ、これが。ということで今回は、そんな阪急逆瀬川駅前にあるショッピングセンター、「アピア逆瀬川」を特集する。
同じ「アピア」なのに経営母体が違う!?
逆瀬川駅の改札を出てアピア逆瀬川のある東側に出ると、実に洗練された「阪急らしい」というか「再開発エリアらしい」というか、どう表現すれば分からないが、それに近い街並みが広がっている。そしてそれと同時に、「アピア」と名乗る建物が複数あることにも気づいてしまう。
それもそのはずで、逆瀬川に「アピア」と名乗る建物は実は複数存在しており、「アピア1」「アピア2」「アピア3」「アピアきた」と、実に4件の建物がそれぞれ「アピア逆瀬川」を名乗っているのだ。
さらにややこしいことに、アピア1とアピア2、アピア3、アピアきたはそれぞれ運営母体が違うときた。しかも全て別母体ではなく、「アピア1」と「アピア2」だけは同じ経営母体というから余計にややこしい。さらに面倒なことには、再開発施設がオープンした時点で「アピア1、アピア2」と「アピア3」に関いては最初から別組織による運営がなされていたというからびっくりである。これに関しては、平成21年に作成された「宝塚まちづくり会社の破綻原因に関する報告書」にも記載がある。具体的には、下の画像の通りだ(「アピアきた」に関しては不明)。
そして先ほど「宝塚まちづくり会社の破綻原因に関する報告書」と書いた通り、このアピア逆瀬川、経営破綻を経験している。かつて「アピア1」に宝塚西武店なる西友系のテナントが入っており、それが撤退したことが大きな要因なのだが、それ以外にも撤退後のリニューアル工事を巡る問題や埋まらないテナント、そしてそれに伴う借入金返済問題等が浮上し、最終的に破綻へと追い込まれてしまったようだ。
周辺にはここ以外にも宝塚南口駅再開発、宝塚駅前再開発など実に多くの再開発事業があり、そもそもオーバーストアだったというのも要因なのだろう。元々1950年代に土地区画整理事業を行おうとしていたこの逆瀬川周辺だが、その計画は「当時の逆瀬川はあまりにも繁栄していた」という理由で却下。その後大型店の進出やサンビオラ宝塚南口の開業で逆瀬川周辺の地位が大きく低下。その打開策として作られたのがこのアピアさかせがわなのだが、結果としてその目論見はうまくいかなかったようである。
そんな複雑な経緯を持つこともあってか、先ほども書いた通り現在では運営も「アピア1、アピア2」「アピア3」「アピアきた」がそれぞれ別々になって行っており、そしてそんなこともあってか「アピア1」にスーパーが2件、「アピア3」にもスーパーが1件、そして「アピアきた」にもスーパーが営業しているなど、同じようなテナントがお互いに被り合うという事態も起きている。ここからは、そんな複雑な状態になっている「アピア逆瀬川」について、運営母体ごとに1件1件を見ていくとしよう。
LIVINの撤退した「アピア1・2」
元・西武「アピア1」
阪急逆瀬川駅を出て東側に行き、すぐ目の前に現れてくるのが「アピア1」である。ここと「アピア2」に関しては「逆瀬川駅前地区市街地再開発組合」なる組合によって施行され、現在では第三セクターの逆瀬川都市開発株式会社による運営がなされている。なお、「アピア1」にはかつてLIVIN宝塚が入居しており、セゾングループによってフロアの大半が占められていたこともあったが、宝塚駅の阪急百貨店に押されたのか、現在では彼らは撤退を余儀なくされている。
なお、再開発当時の出店意向に関する調査によると、出店意向の方針を掲げたのは「阪急百貨店、西武、ダイエー(プランタン)、イトーヨーカドー、ニチイ、ジャスコ、長崎屋、灘神戸生協(コープこうべ)」の8社にあたるという。その中で満を持して出店したのに・・・。
阪急沿線で、しかもセゾングループが中心となっただけということもあり、駅前にはシャレオツなからくり時計も整備されていた。しかしこちらは残念ながら故障中とのこと。通常時は朝8時から夜9時まで音楽に合わせて人形たちが動いてくれるそうなのだが・・・。おそらくこれもバブル期に作られたものなのだろうが、これと同じような時期に作られた有楽町マリオンの「マリオンクロック」なんかもだいぶガタが来てるし、もう限界なんだろうな。
それにしてもからくり時計の下にある謎の段差は何なのかと思いきや、
なんと屋内から続く川の排水口だった。阪急三番街や、かつての百貨店「そごう」には川の流れるレストラン街なるものが存在したが、おそらくそれと同じ類のものとして整備されたのだろう。やっぱりバブルって恐ろしいわ・・・。
前置きが長くなってしまったが、中に入っていくとしよう。駅に面する入口を入っていくと、いきなり広い吹き抜けのあるオシャンティーな空間が目の前に現れる。腐ってもここは元LIVINってか。LIVINになる前は西武百貨店(正確には「宝塚西武店」という名前で、西友の系列になっていた)こともあってか、この手の施設に関してはちゃんと充実させていることがうかがえる。
しかし、そのキレイな施設が活かされているかというと、そうとも言いがたいのが実情だ。正面入り口のすぐ近くにあるインフォメーションセンターがあったと思われるテナントには格安チケット店が入る始末だ。一応この裏にはインフォメーションカウンターもあるのだが、なぜか正面入口とは逆側にあるという始末。やる気があるんだか無いんだか。
のっけからこんなんだから、中身はというとこんな状態である。埋まっているテナントもあるが、全体の2~3割は空きテナントといった具合だ。そして再開発ビルにありがちな「日曜定休」・・・。一応西武百貨店があったようなところなんだからさぁ、もう少し頑張ってよね・・・。
アピア1はB1~5Fの6層で構成されているのだが、現在商業フロアとして展開されているのはB1F~3Fの4フロアのみで、4F・5Fに関してはもはや商業施設としての体をなしているのかどうかも微妙な状況になっている。4Fに関しては塾やオフィス等が入っており、実に失敗した再開発ビルらしいビミョーな空気が漂っているのだが、その上の階、5Fとなると、無機質な4Fとは逆に異常に高級そうな雰囲気が広がっていたりする。宝塚市の公共施設や、「アピアホール」と呼ばれる大広間があるためだが、それにしてもやりすぎでは?と感じざるを得ない。実際老人会状態になっちゃってるし・・・。
ちなみに4階はこんな感じでした。いや、違いすぎる!!この上の階に、あんなキレイなホールがあるなんて考えもしないだろうな・・・。
地下階に移ろう。地下階は食品売り場が広がっており、かつてデパ地下があったことをにおわせるような雰囲気が広がっている。それにしても、関西を代表する高級スーパー「ikari」と元・高級スーパー、ダイエー系列となった今は・・・うん、という印象を持ってしまいがちなスーパー「光洋」が隣同士に立地しているあたり、皮肉なものである。スペースの関係もあるのだろうが、この2つのスーパーがお互いに営業を続けられているというのも本当に面白い。
とはいえ、さすがにここは再開発ビルである。チェーン店が入る区画の他に「市場通り」と呼ばれる、地元のお店が入居するエリアが整備されており、再開発が行われる前この場所でお店を営んでいた地権者が現在も営業を続けている。とはいえ、さすがに再開発から30年以上経つということもあってか、現在では通りの片側がスーパーの一部となっており、このエリアも衰退を隠せない。
数少ない「残った」お店も今ではこんな状態。新型コロナウイルスの影響をもろにくらってしまった格好だ。再開発ビルは商業施設と違い、緊急事態の際は休業を余儀なくされるという欠点が出てしまったようだ。再開発再開発と口酸っぱく言うけれど、それが良い結果を生むかどうかは別問題なのだ、そう感じざるを得なくなる。
アピア2
さて、長くなってしまったがアピア2へと移っていこう。アピア1とは2階で繋がっているほか、地下階でも繋がっており、比較的アクセス面では便利だといえる。
このアピア2だが、先ほどのアピア1とは異なり、かなり簡素な印象を受ける。床はトイレなんかでも使われるような普通のタイルだし、入居するテナントも難関校ご用達の「馬渕教室」やマクドナルド、ドコモショップが目立つ程度で(どれも阪急沿線にはよくある存在なのだが)、基本的には地元地権者のものと思われる店舗が多く入居している。
アピア2がアピア1とは異なる特徴として、飲食店系テナントが多く入っている点が挙げられる。これはおそらくアピア1の場所にあった飲食店も一緒に集めてしまったからなのだろう。レストラン街的な要素が大きいのもこの「アピア2」の特徴なのかもしれない。
それにしても、このアピア2、なぜか「G階」があるんですよね・・・。ヨーロッパや香港なんかではよく見られるこのG階(=Grand Floor)の表現なのだが、まさか日本で見るとは思わなかった。そういえばこの逆瀬川も坂の上にあるし、そこを区別するうえでG階なんてつけているのだろう。ナウいね、アピア逆瀬川。