京都市伏見区といえば、通称「千本稲荷」と呼ばれるかの伏見稲荷大社があることで有名なほか、多数の寺院や神社があることで知られており、全国でも有数の観光客数を誇る場所であることは紛れもない事実だ。
そして、区内には近鉄電車や京阪電車、そして目立たない存在ながらJR奈良線が通っており、JR側には目立った駅はないものの、近鉄電車においては近鉄丹波橋駅に特急が停車するほか、京阪電車では中書島と丹波橋の2つの駅に特急が停車しており、四条や三条といった京都市中心部にはさすがに及ばないが、街としてもそこそこ栄えている。
しかし、伏見区の中心となっているのは先ほどあげた丹波橋ではなく、かといって中書島でもないというから驚きだ。伏見区の中心になるのは、京阪電車の「伏見桃山」、近鉄電車の「桃山御陵前」なる駅に隣接したエリアになるそうだ。そして、その桃山エリアに大規模な商店街があるそうだ。今回は、伏見区の中心。伏見桃山駅に隣接する商店街、「伏見大手筋商店街」についてその現状を探っていく。
伏見区の中心的商店街です
伏見大手筋商店街の最寄りは、京阪電車「伏見桃山」駅である。また、近鉄電車「桃山御陵前」からも徒歩3~4分程度でアクセスすることができ、アクセスは便利だ。ただ、特急が止まらない(京阪は普通・準急のみ、近鉄は急行以下停車)ため、アクセス面では完ペキとは言えないかもしれない。まあ、このへんは近くに特急停車駅があるため仕方がないのだろう。
伏見桃山駅を出ると、すぐに見るからに大きなアーケードが現れる。なお、京阪電車利用の場合は踏切の反対側にも出口があるため、非常に便利だ。
注意点として、この踏切、昼間であっても長時間閉まることがあるという点には注意してもらいたい。というのも、伏見桃山駅のとなり、丹波橋駅で準急や普通と特急との緩急接続が行われており、連続して2~3本の列車が踏切を通ることがよくあるからだ。実際、取材班が訪れた際も3本連続で列車が目の前を通り抜けており、踏切を渡るよりも隣接する地下道を通ったほうが早い、ということがあった。
駅を出ると、いきなりド派手な格好を見せるおもちゃ屋に驚くが、それ以外は至って通常運転。人も多く非常ににぎわっており、典型的な「成功した商店街」の様相を見せている。
そんな人でにぎわう大手筋商店街を歩いていると、「ようこそ、港町京都伏見へ。」という大きなポスターを見ることができる。海に面していないのに港町とは?と疑問に感じる方がいるかもしれない。結論から言うと、これはかつて宇治川上に存在した「伏見港」のことを指すのだが、今回はこれに関連して伏見大手筋商店街と伏見港の歴史についてここで解説しようと思う。なお、商店街公式サイトにも「伏見大手筋商店街の歴史」なるページがあるため、そちらもぜひ参考にしてほしい。
伏見地区が本格的に開発されたようになったのは、豊臣秀吉が全国を統治していた、安土桃山時代のことだ。「安土桃山時代」という名前を聞いたことがある人は多くいるかと思うが、ご察しの通り、「桃山」はここ・伏見桃山のことを指す。
豊臣秀吉が自らの隠居場所として伏見城を建造しようとした際、自らが住む地である伏見を発展させるため、秀吉は部下に命令させて「大手筋」なる大通りを作ったほか(※このときはまだ商店街にはなっていない)、港を整備し、商人が伏見に集まることを意図して開発を行った。これが商店街・港の端緒である。そして、この豊臣秀吉の戦略は当たり、さらに江戸時代に入ると高瀬川が開拓され、伏見は商人の街として大きな発展を遂げた。伏見港はモノであふれ、また京都と大阪を結ぶ海運の拠点であったことから大名屋敷や幕府の
転機となったのは明治時代から大正時代にかけてのことだ。伏見周辺の産業が商業から工業へと移り変わっていき、大手筋周辺では通行者が増加し、ここを通る潜在的顧客を見逃すわけにはいかない!と、商店街的性格が高まっていく一方、京阪電車の開通により伏見港は衰退の一途をたどっていくことになる。
(写真は伏見大手筋商店街公式サイトより抜粋)
大手筋の動きは速かった。商店街であることをアピールするため、早くも大正12年にはすずらんの花形を形どったランプが設置された。当時珍しかったランプは、「よそものを受け入れない」京都としては珍しいものであり、大手筋商店街はここから京都らしくない「新進気鋭の商店街」として成長していくことになる。
当のランプは戦時中、軍への資源調達の一環で撤去されたものの、戦後すぐに復活。さらに昭和46年には電動開閉式アーケードが完成し、今に近い形へと商店街が大きく変貌。平成9年には日本初のソーラーパネル式アーケード商店街が完成し、今に至っている。
(画像は京都府公式ホームページより抜粋)
なお、伏見港についてだが、現在は公園として整備されている。京阪中書島駅からすぐの場所にあるため、時間に余裕があればぜひ一度訪れてみることをおすすめする。
話を戻そう。通常、京都の商店街というと錦市場のような「地元の人間が、小さな店を構えて商売をする姿」を思い浮かべるかもしれない。そして、新京極商店街等の若者が多く集まる商店街を除き、そのイメージは間違ってはいない。
<参考>
しかし、この伏見大手筋商店街では事情が異なるようだ。この商店街では、アーケードの中にあるにも関わらず大手チェーンのスーパーやパチンコ屋、はたまた大学のキャンパスまで存在しており、実に多種多様な施設が所在していることがわかる。京都人の特性を考えると、速攻撤退させられてもおかしくないのだろうが、ここに関してはそんなこともなく、至って平和な風景が残っている。
それにしても、驚いたことに皆自転車を降りて歩いている。もちろん自転車での走行は禁止となっているので当たり前といえば当たり前ではあるのだが、大阪なんかだとそこらじゅう平気でチャリンコがビュンビュン走っているのを見ると、大阪と京都の差を感じてしまう。
アーケードの端までやってきた。大手筋商店街のアーケード自体はここで終わるが、大手筋商店街と直角に交わるようにして「納屋町商店街」のアーケードが口を開けて待っている。また、これと反対側には、アーケード商店街ではないものの、「風呂屋町商店街」なる謎の商店街の入口がある。なお、「風呂」なんて物騒な名前が漂っているが、遊郭や風俗店とは関係ないので念のため。
納屋町商店街の中を入っていく。先ほどの大手筋商店街とは異なり、通路も非常に狭く、そのためか人通りも少ない。また、チェーン店の出店も見受けられないが、通路があまりに狭すぎるのでしょうがないだろう。自転車で通るどころか、止めておくのも苦労しますからね、これじゃ・・・
そんな納屋町商店街だが、先ほどの大手筋商店街とは異なり、個性的な個人商店が幅を利かせている印象を受けた。呉服屋に魚屋、薬屋、そしてインドカレー屋・・・ 少し寂れた現代の商店街にありがちなラインナップである。もともとこの納屋町商店街は「南の錦市場」なんて呼ばれていた時期もあったそうだが、今の錦市場と、この納屋町商店街とを比べるのはナンセンスだろう。往々にして、「〇(方角)の△△(地名)」と呼ばれる場所は、その本家に比べて格落ち感が否めない印象があるが、ここに関しては格落ち以前の問題になってしまっている気がする(※納屋町商店街がダメと言いたい訳ではありません。性格が違いすぎて比べられないと言いたいだけです)。
納屋町商店街のアーケードを抜けると、急にいかにも京都っぽい、観光地感満載の商店街が現れるのだが・・・ これについては次の記事で。