現在ではニュータウン住民の多くが居住する兵庫県三田市だが、元々はと言えば三田藩の城下町として発展したということもあり、その跡が今も「三田駅前に広がる商店街」という形で残っている。
そんな三田駅前に広がる様々な商店街の中でも江戸時代最も栄えたと言われているのが、三田市の中でも「本町」と呼ばれるエリアで、現在ではこの本町エリアの東側を中心に「三田本町通りセンター街」という商店街が広がっている。今回は、この商店街について取り上げていくこととしよう。
旧三田藩の中心地「三田本町通りセンター街」
三田本町通りセンター街は、兵庫県三田市本町に位置する商店街だ。JR三田駅からは「三田駅前商店街」「三田中町商店街」を抜けたところに位置しており、三田駅からは徒歩10分ほどとやや遠めの場所に位置している。また、神戸電鉄側には「三田本町駅」という駅も存在するが、こちらからも徒歩5分ほどかかるので要注意だ。
この「三田本町通りセンター街」はもともと江戸時代に存在した城下の商店街の中核である「本町東組」というエリアが現在に至るまで残ったものとなっており、商店街側もそれを意識しているのか、他の商店街にありがちなお店のマークのついた看板や派手な形の電灯といったものが存在せず、全体的に白と黒でまとめられたシックな看板が目立つ。
(上の写真では閉まっていますが、たまたま定休日だっただけで営業中のお店です)
そんな三田本町通りセンター街の中身だが、全体的に見ても江戸時代らしい町並みと令和となった今の街並みが残っているというよりは、「江戸時代と昭和が混じった」という表現のほうが正しい印象を受ける。今どきの若者に受けるタピオカ専門店(古いか?)のようなものは存在せず、地元の方々に受けそうな肉や野菜、雑貨や和服を扱うお店が並んでいる。街としては面白いのだが、時の流れが止まっている気がしてならない。
どうやらこの商店街もご多分に漏れず衰退の憂き目に遭っているようだ。一旦閉店したお店が放置されているというのもちょくちょく見られ、こちらの店では「小学館の学習雑誌」の文字がドーンと大きく描かれていた。そういえばこの文字、小野市の小野商店街でも見ましたね。あちらは営業を続けていましたが。
ちなみに、地元の方によると「もともと三田の中心はここだった(注:かつてはこのあたりが「三田」と呼ばれる場所で、現在のJR・神戸電鉄三田駅周辺は別の地名がついていた)が、コロナも重なって今はもうダメ」とのこと。新型某ウイルスが商店街を苦しめる例はよく聞くが、どうやらここも例外ではないようだ。
商店街内では、今にも崩れそうなお店も軒を連ねていた。良い悪いというより、普通に考えて相当危ないと思うんですが、こういうお店はどうにかならないんでしょうか。全国的にも問題になっていますし・・・
そんな昭和の雰囲気残る街並みの中に、急に古風な感じの家屋が現れたりするのでこの商店街は面白い。都心からやや離れており、発展が妨げられたが故にこのようなことになったのだろう。実に趣のある街並みだ。
しかしもちろん今は令和の世だ。信号機だってついているし、ベッドタウンらしい牧歌的な風景が広がっている。こののんびりした景色が三田という街の魅力あふれる部分なんだろうな。梅田まで快速電車で約45分と、大阪都市圏にしてはやや離れているものの、この周辺に住む方々が多くいるというのもうなずける。
・・・しかし、どこかで見たような光景なんだよな。「どこか懐かしい情景」と公式サイトにも書かれているように、初めてくるはずなのにどこかで見たような風景が広がっている。知らない人から言わせたら「商店街なんてどこも同じでしょ」で済むのかもしれないが、当サイトで取り上げた商店街をご覧いただければわかる通り、商店街と一口に言っても実際は千差万別。それなのになぜこんなになつかしさを感じてしまうんだろう。部外者から言わせると、三田本町通りセンター街の一番の魅力はそのデジャヴさにあるのかもしれない。
商店街の終点に到着。ここからはまたJR三田駅方面に向かって商店街が広がっており、それぞれ「車瀬橋商店街」「中央町二番街」「中央町一番街」という名前がついている。三田本町は「橋渡し」ってか。良い立地ではありますが、いかんせん駅から遠いのが影響しているのかもしれませんね。
三田本町通りセンター街と車瀬橋商店街とが交わるところには、今どき珍しい丸型ポストが今も現役で稼働を続けていた。こちらのサイト(三田-09に該当)によると、三田市内では6本だけが今も稼働しているようだ。この商店街、いったいどこの時代で生きているのでしょうか。もう本当によくわかりません。