※阪神ファミリーショップ青木は、2023年3月31日をもって閉館する予定です。訪問はお早めに(2023年1月10日追記)。→閉館しました
大阪と神戸とを結ぶ3つの路線と言えば、もちろんみなさんご存じ「JR神戸線」「阪急神戸線」そして「阪神本線」のことを指す。かつてはそれぞれがそれぞれの特徴を生かして競い合っていたようだが、阪急と阪神が合併した今では「JR対私鉄」という構図が出来上がっている。まあ今現在も「山側=高級」「海側=庶民的」という雰囲気は変わらずですが。芦屋1つ見てもこの辺があまりにもよく分かるから面白い。
さて、今回は阪神電車本線・青木駅へとやってきた。通常、「青木」という漢字は「あおき」と読むのが一般的だが、この駅の読みは「おおぎ」と読む。あ、別に読めなくても大丈夫ですよ。青木という地名はこの周辺だとここにしかないんで(笑)
そんな阪神青木駅の南側、駅からすぐのところに、実に昭和らしい風景を残したスーパー(を中心とした商業施設)が今も現役で営業しているという情報をうかがい、今回取材班が出動した次第だ。ということで今回は、阪神電車青木駅前に位置する商業施設「阪神ファミリーショップ青木」について、その現況と歴史についてお伝えすることとする。
昭和の雰囲気残る「阪神ファミリーショップ青木」
阪神ファミリーショップ青木は、兵庫県神戸市東灘区に位置する商業施設だ。3階建てのこの商業施設には、核テナントとして「関西スーパー 青木店」が、それ以外に岐阜県に本社を置く激安衣料品店「オンセンド」や100円ショップ「meets」が入居しており、地元住民の台所として今も多くの人々で賑わっている(ちなみに関西スーパーのサイトには「専門店」の掲載項目はあれど、何も書かれていない。なぜなのでしょうか)。
阪神ファミリーショップ青木が開業したのは今から50年近くも前となる1976年のこと。「阪神」と名前についていることからも分かる通り、阪神電鉄の直営不動産となっており、当時から今に至るまで一貫した形で運営が行われている。ちなみに阪神電鉄のサイトには一切説明がされていないんですが、何か知られたらマズい事情でもあるんですかね・・・。
現在は3店舗のみの営業となった阪神ファミリーショップ青木だが、かつては今よりも多くの店が営業を続けていたようで、上の写真で分かるだけでも1Fで3店舗、2Fで4店舗、3Fで1店舗が営業を行っていたようだ。
ちなみに店内のフロアガイドには多くのスロットが空きとなったまま放置されていた。トイレが3階にしかないというのもなかなか不便だが、おそらくこれを見るに、かつては相当多くのお店が入居していたのだろう。さすがに50年近くも営業しているとこうもなるわな・・・。
昭和の懐かしさと古さの隠せない店内
さて、阪神ファミリーショップ青木の歴史と状況について学んだところで、さっそく店内へと入っていくとしよう。FとSが微妙に合体したようなロゴ、そして「ファミリーショップ」と書かれた細いカタカナが妙に非常に昭和らしさを感じさせる。
さっそく店内へと歩みを進めていくとしよう。1階には全てのエリアに関西スーパーが入居しており、館内で最もお客さんのにぎわう場所として一定の地位を占めている。さすがにここは関西スーパー。通路が適度に広く、気持ちよく買い物ができる。
しかし、壁を見てみるとすぐにその異様さに気が付く。普通のスーパーであるにも関わらず、なぜか異常にエレガントな装飾が施されているのだ。さすがに開業から相当の月日が経っていることもあり、ところどころに古さが見られるが、やはりこの雰囲気の中で買い物をするというのは実に面白い。
しかし平成の世も終わり令和の世の中になったというのに、このレベルの風景が残っているのは実にご立派。今や色あせてしまった感も否めないが、これからもこの美しさを残してほしいと思うばかりだ。
上の階へと上がっていこう。エスカレーターに施されている装飾一つを見ても、この施設の異様さを感じてしまう。なお、エスカレーターは1F→2Fの一方通行。3Fへと向かうエスカレーターや、下りエスカレーターは設置されていないので要注意。トイレが3Fにあるのにこの状況なのもどうかとは思うけどね・・・。
エスカレーターを上がり、2階へとやってきた。2階にも昭和らしい風景は残っているものの、1階に比べるとかなり劣る印象。階段周辺の赤いカーペット風の床を除くと特に何も見当たらず・・・残念だが先を急ぐことにする。
憧れの屋上遊園地 その夢の跡
2階からさらに階段を上がり、3階へと歩みを進めていこう。「えっ!?3階ってトイレしかないのでは!?」」と思うかもしれないが、
なんとこの3階にはトイレ以外に屋上が併設されており、そしてこの屋上にはかつて遊園地があった跡地が今も現役で残っているというのだ。
屋上の扉を開け、外へと出る。かつて遊園地があった跡がそれとなく残っており、テントの跡地(今やポールだけが残る)やゴーカート、ミニ鉄道のようなものがあったことを物語っている。
特にゴーカートの跡地に関しては、明らかにかつてのコースと思われる場所があまりにもキレイに残っており、往年の面影を強く匂わせている。しかしゴーカートといえど、この広さしか無かったのがいかにも屋上遊園地らしい。いったいいつまで営業を続けていたのか定かではないが、なんだか勿体ないなぁと感じざるを得ない。
なお3階には屋内スペースも用意されており、かつてはゲームセンターや中古コミックやゲームソフトを扱う「まっちゃん堂」というお店が出店していたようだ。いかにも屋上遊園地と相性の良さそうなお店が出てくるあたり、さすがだ。
ちなみに3階の屋内施設は壁で覆われて入ることができず。駅前とはいえテナントも入らないようだし、さすがに厳しいんでしょうね。
そんな立入禁止となった壁の中には、謎の生物が飛行機に乗っている絵が・・・。子どもたちの夢の詰まった、憧れの場所。いくら50年近く経っているとはいえ、こんな光景を見るとものすごく悲しくなってしまうのですが、当取材班だけでしょうか。「屋上遊園地」という言葉が死語になりつつある今、この屋上という場所がどう使われていくのだろうか。検証が待たれます(「サッカーコート」という答えが今のところ有力なようですが)。
なお、この屋上遊園に関しまして、
屋上遊園は、小さい子向けの車とかあった記憶があります。3Fのゲームセンターは、 当時良くあったコインゲームが主体で、ルーレット、競馬ゲームとかありました。 子供にはたくさんのコインを交換してくれたので小学生には人気がありました。
というコメントを頂きました。情報提供、ありがとうございます!(2023年1月16日追記)