関西における「甲南」という名称には絶大なブランド力があるようで、その名称を冠した大学「甲南大学」に通う金持ち男子のことを「甲南ボーイ」なんて呼んだりするらしい。関東における「慶應ボーイ」のような感覚だ。当サイトでも「甲南本通商店街」なる商店街をかつて特集したが、そんな金持ち気質は見られなかったですけどね(笑)まあブランドなんて大体そんなものなのかもしれない。
さて、今回やってきたのはJR甲南山手駅。阪神・淡路大震災発生後の1996年(平成8年)に設けられた割と新しい駅で、周辺の再開発の目玉となる形で開業した。大阪・神戸の中心部からともに15分ほど。普通のみの停車駅とはいえ、すぐ隣に新快速停車駅の芦屋があるため、その立地の良さは想像以上だ。
そんな甲南山手駅周辺だが、先ほど「再開発」と述べた通り、この周辺では大規模な再開発が行われた。なんでもかつて市場があったところを再開発し、地上13階・地下1階建て(うち、商業施設だけで7フロア)という巨大な商業施設兼マンションを建ててしまったというのだ。今回は、元市場を立て替えて完成した巨大再開発施設「セルバ甲南山手」について、その歴史と現況について述べていく。
セルバ甲南山手の複雑すぎる歴史
セルバ甲南山手は、兵庫県神戸市東灘区森後町に位置する再開発ビルだ。神戸市の再開発事業「森南1丁目地区」により1992(平成4)年に開業した。阪神・淡路大震災と関連が深い神戸市の再開発ビルだが、ここに関しては震災よりも前に再開発が行われているという点で少々目立つ存在となっている。
セルバ甲南山手の歴史は1932(昭和7)年、「森市場」という市場が誕生したときまでさかのぼる。当時、まだ周辺が田園と荒地だらけだった頃に日本最大級の市場として誕生したこの森市場は、2000坪の敷地内に100軒ほどのお店が並ぶというもので、阪神間の市場では一番の売上を誇っていたという。その勢いは驚くべき物で、近隣の大型店の開業にも負けず長い間栄えていたのだとか。
森市場の風向きが変わるのは昭和末期のこと。当時、バブル景気に沸く中で地価が大幅に高騰。さらに木造店舗が並ぶ森市場の老朽化が重なり、再開発の構想が浮上した。その結果、1988~1996(昭和63~平成8)年にかけて、阪神・淡路大震災の影響で工期が長引きながら再開発が行われ、JR甲南山手駅やセルバ甲南山手といった様々な施設が建造。今回特集するセルバ甲南山手には核テナントとして「サティ」が迎え入れられ、(2003年に撤退するが)今に至る。
かつて市場があったというその経緯からか、現在も再開発ビルはかつての市場を運営していた組合によって運営されており、管理事務所と「名店会」と呼ばれる市場の事務所が一体となって設置されている。神戸市の商店街向けプレミアム商品券も利用できるというからスゴい。高齢化や震災の影響もあり、市場時代からのお店は往年に比べると大きく減ったものの、現在もそのDNAは受け継がれているようだ。兵庫区の「ハートフルみなとがわ」に似たものを感じる。
市場の面影よりチェーン店が目立つ店内
さて、セルバ甲南山手の歴史について触れたところで、いよいよ中へと入っていこう。セルバ甲南山手には地上階につながる入口がある他、地下階へと直接向かう入口があり、しかもエスカレーター完備。地下階に食料品フロアがあり、その階だけ営業時間が長いが故に作られているのだが、おそらくサティ時代から使い込まれているのだろう、少々その老朽化を隠しきれない。
地下階から中へと入っていこう。かつて森市場で営業を行っていた店舗は主にB1F・1Fに入居している。さすがに再開発ビルだけあって、非常に綺麗だ。築地市場が豊洲市場に変わったような・・・そんな感覚です(謎)
かつて森市場に入居していた店舗は食品のみに留まらず、病院や文房具店、生花店など多岐にわたる。旧森市場の店舗から完成した「セルバ名店会」には再開発後に入居したお店も加盟しているが、それでもなかなかの構成だ。これでかつての半分以下というから、昔は相当面白い場所だったんでしょうね。
しかしおかげさまで入口付近にある掲示板がものすごくダサい状態になってしまっている。大阪の「あべのベルタ」でも見た光景だ。再開発ビルって、どうしてこうもこんな状態になってしまうんでしょうか。よくわかりません。