兵庫県神戸市の「生きる廃墟」として一部の界隈で妙に話題となっている施設「コトノハコ神戸」。ダイエーグループ肝入りの施設として1988(昭和63)年に開業も、バブル崩壊や阪神・淡路大震災、ダイエー自身の破綻によって大多数のテナントが撤退、空きテナントだらけのまま現在も営業を続けているというなかなかのいわくつき施設として、今日も多くの人々の度肝を抜かせている。下に挙げている訪問レポートは現在も当サイトで最も閲覧数の多い記事となっており、その注目度の高さがうかがえる。
そんな中、先日神戸市西区の「ダイエー博物館」におうかがいした際、コトノハコ神戸の前身にあたる「新神戸オリエンタルパークアベニュー」時代の貴重な資料を入手することに成功した。ということで今回は、コトノハコ神戸の前身、新神戸オリエンタルパークアベニューについての2種類の資料を読み解き、当時のダイエーはどのようなことを考えていたのか、そしてその結果どうなったのかについて見ていくとしよう。
なお、ダイエー博物館についてのレポートは下にまとめているので、よろしければどうぞ。
新神戸オリエンタルプラザ コンセプトブック
まず1点目、「新神戸オリエンタルプラザ シティーゾーン コンセプトブック」だ。画像では見づらいが、右下に赤文字で
1988年秋の神戸の山の手に、それは高く白くエキゾティックに誕生します。
と書かれており、開業前もしくは開業時のパンフレットであることがうかがえる。
コンセプトブックの中身へと移っていこう。この資料では、新神戸オリエンタルプラザを「DESTINATION CITY 究極のマチ」と位置付けており、劇場・ショッピングセンター・ホテル・北野異人館(周辺に位置する)の4つの要素を持つ21世紀型の新しいマチだと宣伝している。また先ほどの画像には「24時間不眠不休で想像し発信し続ける」との記述もあり、24時間営業を想定していたのだろう。1988年といえばバブル真っ只中。大きな夢を抱いていたのでしょうね。
新神戸オリエンタルプラザの方針は以下のような形だった模様。
(U-ing Factory)
U-ing Factoryは遊・You・湯・Urbanをテーマに、プレモダン(伝統)を意識しながらモダン(現代)を表現する生活創造工場です。
・・・。何言ってるか分からない!!
いかにもバブルらしい表現と画像たちに笑ってしまうが、「自らの生活を選んでいく、能動的に生きていく空間」を作る方針だった模様だ。北野異人館も近くにあるし、大きな相乗効果があると考えたのでしょうね。
当初から商業フロアは6フロアとなる予定だった新神戸オリエンタルプラザ。開業時は世界各地の都市や雰囲気をモチーフとしたエリアが各フロアごとに形成される予定だったようだ。ディズニーランドみたいで見ているだけでもワクワクする。
なおこれに関しては実際にある程度再現されているようで、現在のコトノハコ神戸3Fにも「江戸小路」なるレストランエリアが作られていた。ただ全てのエリアがこうなっていないあたり、結局「ある程度」で終わってしまったようですね。なおこれに関しては後述の「新神戸オーパ(OPA)ガイド」に掲載されたフロアマップを見て頂ければよく分かると思う。
「水吹き抜けを中心に回廊、ブリッヂ、水路など、インパクトの強い施設が計画」との記載。これに関しても後述の「新神戸オーパ(OPA)ガイド」にて記述するが、実際にかなりの部分が再現されていた。確かにインパクトは凄いが、必要かと言われると・・・(苦笑)こんなところからも、バブルの凄さをうかがえるから面白い。